7月23日朝、一夜明けた望洋台キャンプ場。まだ靄がかかつてる。
朝はラーメン。SOTOのフィールドホッパーは値が張るが、畳めばかさばらないし大きさも適当で良い。
荷物を纏めてテントを畳んで自転車にバッグを取り付けてゐると、後ろにつけたフロントキャリアが曲がつてるのに気づいたので曲げ直さうとしたら足が片方折れた。
応急処置として折れた足を紐で結束。さらに上からサドルバッグと荷物ごと後ろにつけたフロントキャリアを荷造り紐でシートステーに縛る。代替リアキャリアを探して交換したいが、田舎の自転車屋ではみつかる可能性が低いのでとりあへずこのまま旅を続ける。
キャンプ場から下界を見下ろす。公道自動車レース漫画に出てくる峠道みたいな曲道坂。キャンプ裝備だと本当に登りがキツいので自転車では来ない方がいい。
キャンプ場を出て暫く走ると小平の道の駅である鰊番屋。売店の開店直後で、土日限定の小平バーガーを販売してるとのことだつたが、開店してから30分しないと仕込みをはらないとのことで、食べることができなかつた。代はりにフォカッチャドッグを食す。
鰊番屋を出て苫前方面へ暫く走ると怪しい民家がある。
とにかく恐ろしげな文言の書かれた自作看板がいくつもたててある。
監視カメラらしきものもあり。
道路を挟んで向ひ側にも自作看板。田舎だと珍しい光景。
さらに走つて苫前町役場前のオブジェ。バイク旅人に人気で、写真撮影してる間も町役場に停車して撮影待ちのバイク旅人が数人居た。
苫前町役場から少し走るとある民家。浮き球を使つたオブジェを置いてる。少なくとも十年以上前からやつてる筈。一組だけ夫婦らしきオブジェがあるが製作者夫妻のものだらうか。
羽幌。午前のフェリーには間に合はず、午後のフェリーで行くとウニ祭りは丁度をはりの時間なので、目的の1つだつたウニ祭りへ行く事ができなくなつた。残念。
午後のフェリーまで時間があるので羽幌道の駅近くにあるおろろん食堂で醤油ラーメンを食べる。
羽幌道の駅になつてるホテル名物のエビタコピザ。
羽幌道の駅近くにあるTIARAのソフトクリーム。
念のためリアキャリアを探しに行つた羽幌の自転車屋は日曜日だからか閉店してたので島からの帰りにまた寄る事に。
数年前に場所を移して建物も新しくなつた羽幌フェリーターミナル。
羽幌フェリーターミナル近くにある、土産物屋きたるにて購入した天塩のマスカットサイダー。
そんなこんなでいつの間にか総走行距離227Km。
フェリーターミナルでフェリーの切符を買つて、自転車を預ける旨を伝へて往復分の車両輸送料金850円x2の1700円を支払ひ、荷札を貰つて自転車に荷札を付けて係りの人に預ける。自転車はフェリーの車両甲板の壁に立掛けて傷つかない様に毛布で養生して停めてくれる。降りる際は他の自動車が全部降りてから毛布を外してもらつて、車両甲板からそのまま降りる。
輪行袋に収めて船内に持ち込めば車両輸送料金を取られることもないのだが、輪行するのが面倒なので楽をした。
フェリーから羽幌港を望む。夏といふ感じの晴れた空に白い雲。
船内では.TEPPEN_Free_WiFiなるフリーWiFiが利用可能。最下層船室では電波が届かなかつたが、中ほどの船室なら問題なく使用できた。他に各船室にコンセントがあり、電気機器の充電に利用できる、が、コンセントの利用は早い者勝ちなので混み合つてる時は早めに確保したい。最下層船室が狙ひ目。
焼尻を経て天売島。船醉ひする質なので毎回フェリーに乗ると島に着くまでずつと寝てゐる。
天売島フェリーターミナルに併設された観光案内所にてキャンプ場の受付を行なつてる。ウニ祭り等でキャンプ場が混みさうな場合は事前に観光案内所へ電話で確認しておくのが確実だらう。料金はテント持ち込みで一泊500円。貸テントや炭焼台のレンタルもある。料金を払ふことで宿泊施設の空いた時間に風呂への入浴も可能だが、今回はウニ祭りがあつた為、宿泊客が多く風呂の空き時間がないとのことで断られた。
因みに港の食堂は営業時間が11時から14時までと短く、午後のフェリーで来た場合は閉店後になり利用することができなくなつてしまふので注意されたい。島の食堂は恐らくここ以外にはなく、お腹が空いたら2軒ある商店のいづれかで何か買つて食べることになる。
おろろんレンタルの二階にある天売郷土資料館をみてきた。
かなり雜多な様子。
島民の不要物を引き取つて大雑把に分別して展示してる様。中には以前島に長くあつたものの何年か前に閉館した田中旅館に飾られてたカニや小判があつた。他には改築前の学校から柱(!)や教材を引き取つて展示されてる。かなり面白い空間である。簡単な解説が貼り付けられてるものもあつたが、できれば詳しい人に解説して欲しい。
海の宇宙館の裏手がキャンプ場で海の宇宙館前の駐車場を海の宇宙館と共用。芝生は刈つてから少し経つてるのか少し長めで露に濡れて湿つてた。テーブルや椅子は海の宇宙館のカフェ用なので利用不可。テントはテーブルや椅子より奥に張つてくれとのこと。
海の宇宙館からみて左手の手前に水場、奥に簡易トイレ(水洗)がある。
水場には電灯が設置されてあり、夜には自動的に点灯して点いたままになる。共用?のクレンザーとバケツが置いてあつたが今回は利用しなかつた。蛾やら何やら虫が槽内にたくさんあつたがこれは仕方がない。
キャンプ場の電灯は水場に設置されたもの1つだけで他にはない。
水場と簡易トイレの間は湿地で通る事ができないので、水場から簡易トイレに行く際は大きく迂回して行かなくてはいけない。また、高く草が生えてる辺りも湿地なので注意されたい。
簡易トイレは和式で、中には自動点灯する電灯がある。
キャンプ場に点在してる写真が掛けられた白い壁の1つにテントを張つた。今回は他に老夫婦がキャンプしてるのみ。
テントを張つてから自転車で島を軽く見て回る。
海龍寺。現在は無人の寺だが以前は住職がをり、今は知らないが葬式もここで行なはれる事があつた様だ。
寺にあつた石碑。故陸軍砲兵二等卒浜谷金次郎君之墓、明治三十三年一月十五日天賣村一同とある。時期的に日清戦争で亡くなつた人のものだらう。
これも寺にあつた石碑。長谷川才兵衛之碑とある。寺の建物近くで柵で囲はれてあり、大人物であつた事が窺はれるが詳細は不明。
昭和十五年十一月建之とある。親族一同で建てたらしいが長谷川才兵衛とは一体何物なのか、機会があつたら調べたい。
天売島の厳島神社。広島にある厳島神社から分霊を勧請し祀つた分社だらうと思はれるが詳細不明。
明治二十九年六月にこの辺りの住人より奉納されたとある。手水舎の成れの果てと思はれる。
拜殿周り。
狛犬には天賣村八番地支配人佐藤平吉外船中一同とあり、裏には大正三年三月吉日とある。
左右の狛犬で文字が左右対称になつてるが興味深い、他の神社もかうなんだらうか。
賽銭箱が見当たらなかつたが、拜殿にある小さな扉から入れる様になつてた。
実は拜殿の左手に道がある。
途中木が倒れてた。
拜殿左手を進むとまた石碑がある。
英霊芳名の碑。
裏には平成六年八月吉日天売社会福祉協議会施工とある。
忠魂碑。陸軍大将子爵大迫尚敏書とある。
石工館岡善蔵、大正六年十一月建之とある。
大迫尚敏は日露戦争時陸軍中将として北海道の師団である第七師団の団長であつたので、その関係からの揮毫だつたのだらう。建立時期からして当初は日露戦争の戦死者を稱揚する為の石碑だつたと思はれるが、英霊芳名の碑に書かれた名前に海龍寺に石碑のあつた日清戦争で歿したと思はれる浜谷金次郎の名前があることから、現在では日清日露以後の戦争で亡くなつた人も含めて稱揚してるらしい。
忠魂碑の右手にも道がある。
沢から湧き水を通してるホースあり。
よくわからないところに出た。沢の上の小さな丘に何かを建てたものらしいが、殘骸しかないので詳細不明。虫が多いので写真撮影して早々に立ち去つた。
商店で朝食夜食とツマミと酒を買ひ込んでテントに戻ると夜。
初日では紹介してなかつたが寝袋はモンベルのダクロンシュラフ。ワイルダムの寝袋があればよかつたがみつからないので、ワイルダムの寝袋と同じダクロン素材の1980年代頃の寝袋を探してきたのだ。
恐竜の玉子となつてるが、中は懐かしのおつぱいアイス。
ホルモンともやしを買つて来た。
風が強いので風除けを使つて調理。
ホルモンの炒め物の出来上がり。酒に良く合ふ。
〆に熱燗を作つてちびちび飲んで就寝。